"나의 빛이 돼줘서 고마워요" ―'19/9/22

 

 

こんばんは、光(@csjj22)です。

今日は私の最愛の推し、GOT7のパクジニョンさんのお誕生日ということで、毎年140字に詰め込めきれずに溢れ出した気持ちを今年こそ!ここに!と意気込んでブログをしたためることにしました。

 

まず、じにょんさん、お誕生日おめでとうございます。今年もこうしてお祝いすることができてとっても幸せです。今日もお忙しいかと思いますが、少しでも多くの幸せを感じられる1日になることを心の底から願っております。今日の世界の中心はあなたです。(もう泣きそう)

 

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年に1回のお誕生日なので、じにょんさんの好きなところ922個あげていこうかとも思ったんですが、それじゃあまりにきりがないので、922スクロール分じにょんさんへの愛を綴っていこうと思います。(どっちにしろ重い)

普段ここは自分の備忘録として、楽しかったことを残しておいて、辛いときに読み返して乗りきろう!という趣旨のもと、主に現場の感想や思い出を書き残してるんですが、今回は少し趣旨が違って、じにょんさんを好きになってから今日までのこと、今の気持ち、等々を残したいなあ、と思ってます。なので、普段よりもますます読みにくく、かつ個人的な内容になるかと思います、ご了承ください。

 

好きになって2年とちょっと、お誕生日をお祝いさせてもらうのは今年で3回目になりました。初めてのお誕生日はケーキと一緒にVliveをしてくれて、2回目のお誕生日はカフェでのVliveでした。それぞれその年の、いちばん幸せな日になったのを覚えています。そしてきっと今日も、今年のいちばん幸せな日になると思います。

じにょんさんを好きになった頃のことを思い返してみたんですが、この日の、このじにょんさんを見て好きになった!という明確なキッカケはなくて、彼の持つ魅力に触れる度に、少しずつ少しずつ心に星が溜まっていくような感覚でした。

GOT7を知ったキッカケはジェクで、それからMVやダンス動画を見ていくうちに、かっこいいな、と目を引いたのはジェボムで、実はじにょんさんはいちばん最後まで覚えられないメンバーでした。歌声にしても、私が好きになった時点までの楽曲は、ジェボム&ヨンジェのメインボーカルが軸になってて、 そのふたりとユギョムの独特な声とを当てはめて、最後まで当てはまらない声がじにょんさん、ってイメージでした。とても整ったお顔の、安定感のある中男坊。雰囲気は真面目そうで少し堅そうで、きっとこの人は私とはまるで違うタイプなんやろうなあ、と、直感でそんなことを思ったのも覚えてます。


好きになった明確なキッカケはないんですが、ひとつ、意識するようになったキッカケを挙げるならば、じにょんさんの初めての作詞曲を聴いたときかなあ、と思います。

To. Star, a song by GOT7 on Spotify

딱좋아、Never Ever、니가 하면… タイトル曲が一通り耳に馴染んで、GOT7の音楽の色がなんとなく見えてきてた頃に聴いたこの曲はもう衝撃としか言い表せなくて、未だにイントロが流れると涙腺がぼろぼろになります。音も歌声も、これまで聴いてきたGOT7のどの楽曲よりも心に刺さって、"MAD"と冠したアルバムのリパッケージで、니가 하면の裏側で、こんなにも繊細で切ない曲が聴けるとは思ってもなくて、まさに度肝を抜かれました。(この曲への愛を語り出すと922スクロールですら収まらなくなるので泣く泣く割愛します、泣く泣く)(じにょんさん作詞曲に関してはもう別記事書きますそうします)

これまで好きになってきた人たちは、どんなジャンルであっても、何かしらキッカケがあってその人自身を好きになってから初めてその人の芸の部分に触れてきたので、仮にもしこの人のことを好きじゃなかったら、もし順番が違ったら、私はこの芸の部分を果たして好きになってたのだろうか…と思うこともたま~~にあって、それについて悩んでたわけではないんですが、"芸に惚れる"ということに憧れてきた私が、そういう意味で初めて惚れたのが、この曲を書いた、当時20歳そこそこの男の子だったのかなあ、と思います。(何度も何度も何度も何度も言いますが、誕生日なのでもう一度言わせてください、私はこの曲を生で聴くまでは絶対に死ねません死にません)

それからはもう一瞬で、引き寄せられるという言葉の通り、彼の放つ引力で傾いた道を、転がるように好きになって今に至ります。なんなら今も現在進行形で彼に向かって全力で転がってる最中です。


それから2年とちょっとの間、私の毎日に当たり前のようにGOT7が、じにょんさんがいて、楽しいことばかりではなかったけど、じにょんさんを想う気持ちは未だに一滴の濁りもなく綺麗なままで、それがどれだけ尊くて有難いことかを日々噛み締めています。

 

少し昔に流行った、有名な(そして私の大好きな)映画のコピーに「愛とは決して後悔しないこと」という言葉があります。これは作中で2回登場する重要な台詞で、元の台詞は "Love means never having to say you're sorry" です。
英語には弱いので、この言葉の解釈について、日本の有名な文学者の言葉を借りると、

"愛というのは、あとで「すまない」と言わねばならないような仕儀に立ち入らないように、一瞬たりとも気を緩めないほどに張り詰めた対人関係のことである"

ということだそうです。もう私の言いたいことはこれで全部です。

じにょんさんのどんなところが好き?と聞かれたら、922個浮かんできますが、その中の核はここです。私たちファンの前に立つとき、話すとき、どんなときでも、言葉や仕草の隅々にまで神経を張り巡らせて、誰かが不安に思ったり傷つく(かもしれない)ようなことを絶対に選択しないところです。一見すると親しみやすさが薄くて、"完璧な"アイドルに映るかもしれませんが、おちゃめなところやいたずら好きなところなんかは年相応の男の子で、優しく寄り添ってくれるところや選ぶ言葉は、アイドルとしてではなく彼自身の優しさが滲んでると私は思います。

推しに甘々な都合の良い解釈だと思われても仕方がないですが、アイドルとはあくまで虚像であって、目に見えた点を勝手に線で繋いで、その形を好きになってるだけで、本当はその人がどんな形なのかは知る由もない、本人の作り上げた虚像を応援することでしか関係を保てないわけで。でも、その点が実際にその人の中に存在するものでないと虚像はすぐに崩れてしまうし、どの点を見せるか見せないかは本人の意志によるわけで、つまりはすべてが偽りなわけではなくて、私たちはそれを知った上で点を繋いでるんだと私は思ってます。

本人がどんなに歪な形でも、私に見えるのは綺麗な形で、その形を好きになって応援したいと思って、その形を保ってくれてる以上、何も問題ないんです、むしろそれ以上に幸せなことはないんです。
しかもこれはアイドルにだけ言えることでもない気がしてて、結局のところ、どれだけ近しい相手でも、自分の形そのままをさらけ出して付き合うことは簡単なことではないし、見る人によって見え方が違うのは当たり前で、悪いことではないんじゃないかなと思ってます。

じにょんさんがアイドルという職を選び、それを全うし、ファンとの関係に甘えることなく常に気を張っていてくれるからこそ、その姿をずっと応援することができて、今日の私がある、ということです。私は彼の"そういうところ"が心の底から大好きで、それ以上に尊敬しています。

じゃあもしその関係が崩れる日がきたら、「すまない」を言われる/言う日がきたら、と考えてしまうことも何度かありましたが、たとえもしそんなことが起きたとしても、今まで大切に関係を築いてきてくれた事実は変わらないので、その時点で一瞬ですべてが弾けてなくなってしまうということにはならないんじゃないかと思ってます。結果としてどうなってしまうかはわかりませんが…… とにかく私から「すまない」を言う日がこないように気を張りつめるしか術はないです。ただそれだけです。


ここまで、文章も内容もものすごい固さになってしまってるので、え?ほんとに彼を推してて楽しい?普段からそんなに頭固いの??とそろそろ思われてしまいそうですが、普段は(「じにょんさんに革靴のまま踏まれるソファーになりたい…」※The New Era 公演"2"参照)(「じにょんさんに鞭で叩かれる床になりたい…※Road 2 U 公演"25"参照)等々呟いてる脳内ふわふわ娘です。

「~になりたい」シリーズ 無機物・概念編

(私の日頃のふわふわ具合がいちばんよくわかるモーメントを置いておきます)

 

じにょんさんを好きになって、この人のファンとして恥ずかしくないように、さすがジニョンペン、と思ってもらえるように、せめてオタ活のときくらいはしゃんとしよう、と強く強く思うようになりました。(「無機物シリーズ」あたりはだいぶ"ヤバい"ですが、そのへんはおおめに見てください)『ファンはアイドルの鑑』という言葉を胸に掲げ、どんなに些細な場面でも気を配るようになりました。それを負担に感じたことは一度もなくて、私とはまるで正反対で、憧れで、そんな素敵な人に近づくことは出来なくても、せめてファンとして胸を張れるような自分でいよう、とも思いました。

そう心がけてきたおかげで、たくさんの素敵な友達に恵まれ、たったひとりで始めたオタ活が、気がつけばたくさんの思い出に囲まれていました。
自分を変えた、というよりも、自分の中にある嫌なところをなるべく出してしまわないように注意しながら、じにょんさんやGOT7を始め、好きな人たちへの想いを大切に抱えて今日まで過ごしてきました。本来の私はもっと口が悪いし性格も悪いしとにかく暗いし、そんなところを隠して、ただただ推しの前でいい格好したいだけでは、と思われてしまうかもしれないですが、じにょんさんを好きな気持ちだけは汚したくなくて、大切にしてたくて、大切にするために、私も私なりの理想の形を自分で描いてきたのかな、と思います。

"じにょんさんを好きな私"でなければ出会えてなかったような人たちに出会えて、好きな気持ちをお互いに尊重したり共有したりしてもらえて、GOT7の現場やオタ活以外のところでも繋がることができて、こんなにたくさんの思い出を作れたことは、"本来の私"では身に余るほどの幸せでした。(突然の遺言調)

ものすご~~く大袈裟で勝手な思い込みかもしれませんが、私にとってはただのオタク友達ではなく、人生の友達ができた気分でした。そんな風な優しさを持ち合わせた人たちに恵まれることは、もしかしたら、唯一無二の推しに出会うよりも難しいことなんじゃないかと思います。


じにょんさんが、私に直接何かをしてくれたわけではないし、私個人に対する存在認識すらないので、すべてを"じにょんさんのおかげ"とするのは違うことはわかってます。じにょんさんを好きになったのも、恥ずかしくない自分になろうとしたのも私の選択です。

でも、その私の選択の連続の中に、じにょんさんがいてくれたことで、こんなにも自分自身がいい方向に変わることができて、そのおかげで素敵な人たちにも恵まれたので、このあまりある幸せは、やっぱり"じにょんさんのおかげ"です。じにょんさんがアイドルになるまで、なってからのすべての選択に、そして私の彼を好きになるまで、なってからのすべての選択に感謝します。

じにょんさんを好きにならずに過ごすはずだった残りの人生を思うと不憫に思えてしまうくらい、じにょんさんと出会ってからの日々は本当に本当に幸せでした。もちろん、これを書いてる今この瞬間も幸せでいっぱいです。

推しを神格化しすぎ、夢見すぎ、って言われたことを省みて落ち込んだり反省したこともありましたが、私から見える彼の形が神様と近い形に見えることもある、というだけで、だからといって同一視してるわけでは決してないし、ただの男の子であるということを常に胸に留める必要があることも理解してます。彼に夢を見てるわけじゃなくて、彼の見せてくれる夢を見てるだけなので、私はこれからもその夢を見てたいし、その夢の中で、変わらずにじにょんさんを好きでいたいです。ファンの数だけアイドルとしての彼の形があって、角度や距離によって見え方や聞こえ方、感じ方が違うのは当たり前で、どの形が一番本人のそれと近いか、なんて競いあっても仕方がないし、本人含め、ファンの方々や周りの人たちに迷惑をかけることさえなければ、好きなように応援していいのかな、うん、そうしよう、の気持ちです。


深みのある少し掠れた歌声も、指先から爪先までしなやかで力強いダンスも、選ぶ言葉も、くしゃっとした笑顔も、目尻の皺も、唇のほくろも、自分のファンのハートぶった斬るところも、ペットを飼わないところも、SNSの使い方も、「次はラブロマンスがしたい」「キスシーンもしたい」とか自分のファンに言っちゃうところも、手が大きくて指が長いところも、自分よりも弱い存在に対して絶対的に優しいところも、演技がべらぼうにうまいところも、几帳面に見えて変なところで大雑把なところも、かと思えば「遮光カーテンじゃなきゃ寝れない!」みたいに神経質なところも、そんな真っ暗闇の中お腹丸出しで万歳ポーズで寝てるところも、起きたら寝癖爆発してるところも、ストイックなところも、むきむきになってす~ぐ脱いじゃうところも(残りの903個は割愛します)もう、どこをとっても大好きです。

 

………もうなんか愛が重すぎて思わずかったい言葉で書き殴ってしまって、せっかく今日までいいファンでいようと頑張ってきたのが今日でぐしゃぐしゃに崩れてしまった気がする…… めちゃくちゃ重い気持ち悪いファンでごめんなさい… 私のことは嫌いでも、じにょんさんのことは嫌いにならないでください…

私はこんな自分のことが大嫌いやったし、今もぜんぶを好きになれたわけではないけど、じにょんさんを好きな自分だけは好きでいられたし、それだけは胸を張れたから、そうやって過ごしてきた日々も、出会えた人たちとの思い出も、みんな私の心の一部になったから、これからは自分のこともちょっとずつ好きになれたらいいなと思うし、これからも変わらずにじにょんさんのファンとしてふさわしい人になりたいなと思います。

 

最後になってしまいましたが、今回の記事のタイトルは、数年前のお誕生日にマスターさんが企画してくださった広告の言葉をお借りしました。(画像もお借りしました)

 

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じにょんさんは私にとって道標のような人で、どんなに悩んでも迷っても、じにょんさんへ続く道だけは見失うことなくまっすぐ今日まで歩いて(というよりほぼ転がって)これました。

だからこれから先は、彼が選んで進んでいく道を、それがどんなに暗くて険しい道やとしても、少しでも明るく照らせるように、今度は私たちが光になれるように応援していきたいです。(超~~~~お恥ずかしいですが、これがHNの由来のひとつでもあります、絶対にいじらないでくださいもう恥ずかしさで茹であがってますので)

 

じにょんさんがこれから歩んでいく道が希望に満ち溢れた花道でありますように、"その日"がくるまで一緒に歩いていけますように、彼の輝かしい未来の光のひとつになれますように。


じにょんさん、改めましてお誕生日おめでとうございます。健康で、幸せでいてください。これからもずっとずっと応援してます。

 

 

 

"나의 빛이 돼줘서 고마워요"

(私の光になってくれてありがとう)

 

 

― '19/9/22